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2011年 09月 21日
![]() 先日ミヒャエル・エンデのバラード集「夢の蚤の市」から「綱渡りフェリックス・フリーゲンバイルのバラード」を訳してアップしましたが、もう一つ「 飛ぶ夢」を訳してアップしたいと思います。 飛ぶ夢 君がまた疲れきってしまった時 自分の暮らしがどれほど窮屈で拘束されているかということに まるで全地球が灰色の網ですっぽりと覆われているように感じられ その網の中にどうする事も出来ずにからまっている 習慣と暴力と規則の網 国から国への境界の網 愚かさと有刺鉄線の境界 金と制約された時間の境界 そして自分の能力の境界 君がまた格子の小さいのや大きい棒に向かって 押し飛ばされ傷ついてしまった時 君はよく分かっている この場所からけして出て来れないことを 狭い空間にずっと捕われたままだ すると隅にしゃがみこんで古い夢を見るだろう 君は両腕を思いっきり広げ 深く呼吸して 通りや家々のはるか上方を羽ばたいていくだろう 夢のような鳥の飛行で 飛んで、飛んで、目標なんていらない 存在していること自体が幸せ 下界の境界なんぞさほど気にならない けして戻りたくないだろう そんな簡単なことさ、不思議でも何でもない そして夢の中で、これは夢でないことを知っている 君は自分に問いかけてみるだろう 人は何故忘れてしまうのだろうかと いつも鳥のように自由なことを そして本当に飛ぶことができることを 何故信じられないのだろうかと 飛ぶ夢を何度か見たことがありますが、一番印象的だったのは、もう大分前に見た夢ですが、アリゾナのセドナの上空を飛んでいた夢。夢を見た頃はセドナやグランドキャニオンの地域にそれ程関心が無くて、思いを馳せたことなんて無かったのに、どうしてセドナの上空を飛ぶ夢を見たのだろうかと自分でも不思議です。もう一つ不思議だったのは、その夢の中の映像がリアルな情景を見るよりもはるかにリアルで、圧倒されて恐くなってしまう程鮮明でした。でも飛ぶ夢って自由を感じて気持ちがいいですよね。皆さんも空を飛ぶ夢を見たことがありますか。
2011年 09月 04日
![]() 「はてしない物語」や「モモ」を始め、数多くの素晴らしい作品で世界中の人に感動を与えてくれたドイツの作家ミヒャエル・エンデ。あんなに才能豊かな作家が早く逝ってしまわれたことがとても惜しまれます。彼の作品をもっと読みたかった。今の時代ならミヒャエル・エンデはどんな作品を創ったでしょうか。 原書で「夢の蚤の市」というタイトルの本があって、ミヒャエル・エンデの創作した不思議な味わいのあるバラードが集められています。その中の「 綱渡りフェリックス・フリーゲンバイルのバラード」という話がとても気に入っているので、訳してみました。この話は日本では「 影の縫製機 」というタイトルの本に収録されているようですが、バラードの歌のリズムを重視する為に、原書の表現とは部分的に微妙に違う箇所も見られます。詩や歌を他の言語に訳するのって難しいですよね。ここでは原書の表現に合わせて訳してみました。 綱渡りフェリックス・フリーゲンバイルのバラード フェリックス・フリーゲンバイルという名前の綱渡りがいた。 彼が前人未到の綱渡りの名人であったことは誰もが認めていること。 彼にとっては宝も金も賞賛もどうでもよかった。 彼が心に留めていた事は世の中の誉れではなく、技だけだった。 綱渡りの学校に入ると 大勢の中で瞬く間に一番の優等生になった。 1年が過ぎた頃、先生よりも上手くなった。 そこで先生は柔和に言った。 「天才児よ、さらば。君に教えられる事はもう無いよ、息子よ。 これからは神と共に行きなさい。さあ、行きなさい!」 そういうわけでフェリックス・フリーゲンバイルは世の中に出て行った。 彼がやって来る所はどこでも拍手喝采が響き渡った。 彼は世界中を巡って、師を探し求めた。 だけど安全ネット無しの高い鋼の綱の上で彼のように 天才的にバレーの跳躍ができる人は誰もいなかった。 師がどこにも見つからなかったので、終に彼は他の人を感激させる代わりに 自分自身をマスターすることにさっさと心を決めてしまった。 「私の踊りはまだ完成された技ではない」とフェリックス・フリーゲンバイルは言った。 「綱の上であらゆる事ができるけど、綱が太すぎる」 そこで彼は家から家へと綱の代わりに針金を張った。 そしてその上でジャンプを練習し、やがてマスターできるようになった。 それから彼はもっと細い針金を、そして更には最も細い針金を張った。 2年の歳月が過ぎ、彼はそれもマスターしてしまった。 そして7年目がやってきた時には、彼は塔から塔へと張られた髪の上で踊り、 嵐の中でも歩んで行った。 観衆はその様子を沈黙しながら見守り、 帽子をぎゅっと握りしめていた。 そして終に信じられないクライマックスが起こった。 ある日の朝の8時に彼は塔と塔の間に何も張らずに空中で踊ったのだ。 まるで何かそこに張ってあるかのように! 奈落の上方の高みで彼は踊るような軽い足取りで歩いていた。 しかし掴むものが無かったので、一陣の風がさっと彼を連れ去った。 風が彼をどこへ吹いて行ったのか知る者は誰もいない。 一人の天文学者だけが望遠鏡でのぞいていた時にアルゴナウテス座で観察した事を述べた。 「夢なんかじゃないですよ」と天文学者は言った。 「宇宙空間を星から星へと踊るように進んで行くあの綱渡りを見たんです!」 フェリックス・フリーゲンバイルという名前の綱無しで渡る綱渡りがいた。 彼が前人未到の綱渡りの名人であったことは誰もが認めていること。 彼にとっては宝も金も賞賛もどうでもよかった。 彼が心に留めていた事は世の中の誉れではなく、技だけだった。
2011年 08月 28日
![]() マヨルカ島での滞在中、日本語訳のタゴールの詩集を持って行って読んでました。 この詩がなんだかとても気に入ってました。 赤ちゃんの目の上にちらつく眠り あれはどこからやって来るのか知っているかね。 そうだ、噂によると、ほたるが薄明るく光る森の蔭におとぎの国があって、 そこには魔法でできた二つのはにかみやの蕾が揺れている。 赤ちゃんの眠りはあそこに住んでいるそうだ。 そこからやって来て、赤ちゃんの目にキスするのだ。 赤ちゃんが眠るとき、その唇に漂う微笑み あれはどこで生まれたか知っているかね。 そうだ、噂によると、新月の若い青白い光りが、 いまにも消えそうな秋の雲の端に触って、 露に濡れた朝の夢の中ではじめて微笑みが生まれたのだそうだ 赤ちゃんが眠るとき、その唇に漂う微笑みがそれだ。 赤ちゃんの手足に輝く甘くて柔らかな新鮮さ あれはもとどこに隠れていたか知っているかね。 そうだ、お母さんが若い娘だったころ、 愛の優しい沈黙の神秘として、その胸に満ちていた 赤ちゃんの手足に輝く柔らかな新鮮さがそれだ。
2011年 05月 18日
少年の頃から日本文化に惚れ込んでいる夫は日本語を習うのを何よりも楽しみにしています。以前は外国人の為の日本語学習の教科書で習ってましたが、そういう教科書の扱っているテーマや語彙はちょっと面白みに欠けているので、もっと心で味わえるような美しい日本語の文章の流れを習わせたくて、週末に一緒に日本文学を読むことにしていました。
以前日本でいつか夫に読ませようと少年少女向けのふりがなのふってある日本文学の本を幾冊か買っていたので、まずは島崎藤村の「ふるさと」を読ませることにしました。これは藤村が幼い頃に過ごした故郷の木曽の思い出を我が子に語りかけるように書いている本で、文法もそんなに難しくなく、木曽の自然の美しい情景の中で繰り広げられる昔の田舎の子供の生活が描かれており、日本語の教科書と違ってとても新鮮で、夫もとても楽しんでいる様子でした。 新しく出て来る言葉の意味を教えながら、一文章づつ私が先に声に出して読んで、夫が続けて読んでいくのです。 日本語は美しい。日本語には潤いがある。夫も日本文学を通して日本語の美しい文章を味わうことができて、とても嬉しそうです。こんな風に日本語を習った後はまるで新鮮な空気の中を散歩してきたかのように頭がクリアーになると言っています。日本語を習うのはまるで禊のような効果があるとも言っています(笑) 日本文学を読む時間、彼にとって至福の時なんです。 120ページ程の「ふるさと」もやっと先日読み終わることができ、今国木田独歩の お話を読み始めたところです。彼にずっと以前私の好きな国木田独歩の短編を翻訳してあげてイラストを添えて贈ったことがあって、彼もその話をとても気に入ってました。今国木田独歩の文章を日本語で読ませることができて嬉しいですね。
2011年 01月 10日
ブログを通して交流していただいているハトさんが折にふれ紹介してくださっていたサーミ系フィンランド人の詩人ニルス=アスラク・ヴァルケアバーの自然の一部になったように奥深く自然と繋がり自然への感謝に満ちた賛歌のような詩を読んで、私も感動しました。ハトさんのブログ「猫のひげ」の12月9日の「スオミの詩より」や12月10日の「スオミの詩より」にもこの詩人の詩が幾つか紹介されていますので、関心のある方はご覧になってくださいね。前記の青文字で書かれた部分にリンクしています。
あまりにもこの詩人の自然を見つめる透き通る程に純粋に研ぎ澄まされたまなざしに感動したので、私も是非読んでみたく思い、詩を読むのが好きな夫にも読ませてあげたいと思い、この詩人の詩集がドイツ語版でないか検索してみたのですが、絶版のようで見つかりませんでした。でもあきらめられなくて更に検索してみたら、古本系のネットショップでも見つからなかったのですが、やっとスカンディナヴィアや極地方やアラスカ等の北の国に関する書物や地図等の商品を扱っているあるドイツのネットショップで1冊だけニルス=アスラク・ヴァルケアバーの詩も収録しているラップランドの詩や歌謡を集めた本を見つけ出して注文していたのですが、それがやっと届きました。本のタイトルは「Nordland(北の国)」。とっても嬉しかったので、記念にアップしておきます。 ![]() 面白いことに、どこの国のかよく分からないのですが、スカンディナヴィアのどこかの国なのでしょう、本が地図で包んでありました。地図を見ているだけで、フィヨルドや平原や北の国の大自然が浮かび上がってくるようです。 ![]() ![]() 封筒に貼られてあった切手も童話っぽくて魅力的。 ![]()
2010年 01月 07日
好きな詩人の一人にイタリアのトリエステ生まれの詩人ウンベルト・サバ (1883-1957) がいます。イタリアの代表的な詩人なのですが、一般にはあまり知られていないようです。ドイツでもあまり知られていないのですが、10年程前になりますか、こちらのある文芸や芸術を扱った雑誌でウンベルト・サバが紹介されているのを見かけ、即気に入り、色々本屋を巡って探し回り、やっと1冊の詩集を見つけました。今でも大切にしている詩集です。特に気に入っている彼の詩を下に訳してみました。サバの詩と初めて出会った雑誌で紹介されていた詩です。
詩を読むのは好きですが、自分では詩を滅多に書くことはないので、下手な訳で申し訳ありませんが。 冬の真昼 確かに幸せを感じていたこの瞬間に、 (神よ、この仰々しい物凄い言葉を許したまえ) 何がこの束の間の喜びをあわや涙に転じさせようとしたのだろうか 君たちは言うだろう、決まってるさ、一人の美しい女だろう、 さっき通り過ぎた時にお前さんに微笑みかけたあの美人に違いない いや、それは一つの風船だった、一つの紺色の風船 風船はこの冬の真昼に、空気の青さの中へと これまでこんなに輝いたことはなかったほどの くっきりとした冷たい故郷の空へと漂っていた ここかしこに小さな白い雲が浮かんでいる空 家々の窓は陽に照らされて燃え上がっている そしてほとんどの煙突から立ち昇っている弱々しい煙 この全ての物、神聖なものの上空に浮かぶ一つの球体 証券取引所と私が座っていたカッフェの間で 一人の男の子の不注意な手から逃げ出して、 (彼はきっと皆に囲まれて悲しく泣いているだろう、大きな悲しみだ) 窓ガラスの向こう側で 風船が風船の幸せを高く舞い上がらせて、降りてゆく様を 私は目をきらめかせながらじっと見ていた。
2009年 12月 20日
![]() 児童文学が好きでよく読んでいたものです。雪が出てくるお気に入りの物語を色々挙げてみたいと思います。 まずは、C.S.ルイスのナルニア国物語シリーズの「ライオンと魔女」。第二次世界大戦時兄弟姉妹が疎開先の大きなお邸でかくれんぼをしていた時に、ルーシーという小さな女の子がある空き部屋の隅に見つけた大きな洋服ダンスの中に隠れようと入っていきます。奥へ奥へと入っていくと、やがて冷たいものが足に触れ、一面雪景色の世界へ入り込んでしまっていたのでした。そこから彼女と後からやってくる兄や姉とのナルニア国での冒険が始まるのですが、小学生の時、図書室でこの本の冒頭を読んでいた時、まるで自分がナルニア国の雪景色の中に入り込んだような大きな印象を受けました。それ以来、雪といえば、まずこの情景が浮かびます。 ![]() それからおなじみのアンデルセンの「雪の女王」に、斎藤隆介の汚れた地上の世界を清めようと天から送られる雪娘の物語「ゆき」。 そしてロシアの童話作家マルシャークの「森は生きている」。我儘一杯の気まぐれ女王が真冬に春に咲く花マツユキソウを欲しいと言い出して、探し出して持ってきた者には褒美を与えるとお布令を出します。継母の言いつけで吹雪の森に送り出された少女が凍えながら森の中をさまよっていたら、パチパチ燃えるたき火の炎が見え、陽気な歌声が聞こえてきます。一緒に暖まらせてもらいに行くのですが、彼女がそこで出会ったのは12の月の精たち。12の月の精に助けてもらって、マツユキソウを手に入れるのですが...この物語はうっとりするほど大好きなんです! ![]() それからマンガ日本昔話で見た「あとかくしの雪」。ある村で火山灰が降り畑に積もって凶作となり多くの村人が飢えていた時、お腹を空かせ弱り果てた一人の旅人がこの村へとたどり着きます。家々をまわって食べ物を乞うのですが、断られてしまうのです。一人暮らしのおばあさんだけが家に入れてくれ、いろりの傍へ座らせてくれました。ちょっと待ってなさいと外に出て行き、戻ってきたおばあさんは、両手に大根をぶらさげていました。そして自分は食べずに旅人のために料理してくれるのですが、その大根は村の長者の畑から盗んできたものだったのです。その頃その長者は大根が盗まれたことを発見して、犯人を見つけてやるぞと怒り狂うのですが、一面の地面に積もった灰にはちゃんと犯人の足跡がくっきりと残っていたので、夜も遅いからと、翌朝犯人を探しにいこうとします。そして翌朝、その長者は目を覚ましてびっくり、一面雪に覆われ、犯人の足跡は跡形もなく消えていたのでした。この物語大好きで、夫のためにドイツ語に訳してあげたほどです。 雪にまつわる話、素敵な話が多いですね。 < 前のページ次のページ >
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