2012年 06月 30日
コロンブスの史跡/カラベラス埠頭 2
新大陸発見500周年に制作されたコロンブス達が新大陸へと目指した3隻の船の実物大のレプリカが停泊しているカラベラス埠頭は、コロンブスが初航海の準備をする為に数年間暮らしていたラ・ラビダ修道院の近くにあります。この修道院についての記事も後で詳しくアップしたいと思います。
この日の空は押し付けるようにどんよりとしていましたが、かえって未知の大海原へと旅立って行く古の船乗りの不安をはらんだ心情が感じられるようで、こういう空を背景に並んでいる木造の帆船は印象的な趣を醸し出していました。
ちなみに前回アップしたコロンブスの記念碑の写真では眩しい程の青空ですが、この写真はカラベラス埠頭を訪れた後でラ・ラビダ修道院にも向かったのですが、丁度到着したのが午後1時数分前でシエスタ(午後の休憩時間)に入る時間で、入られなかったんですよ。開くのは午後4時だということで、それまで待っていられない。それで後日再度訪れることにし、この青空の写真はその時に途中で撮ったものです。
停泊している3隻の帆船のレプリカを見て、まず思ったのは、想像していたより小さいなあということでした。しかも3隻のいずれもが中古船で、探検を目的として建造されたものではなかったそうです。船腹にも入って行けるんですが、意外と簡単な造りで、よくこんな船で2ヶ月あまり大西洋の荒波を進んで行けたものだと感慨深かったです。
コロンブス達を乗せた3隻の木造の帆船、 カラベラ船のニーニャ号、ピンタ号とナオ船のサンタ・マリア号は、1492年8月3日に パロス・デ・ラ・フロンテーラから大西洋を渡ってインドを目指して出港し、その年の10月12日にインドではなく バハマ諸島のグアハニ島に上陸しました。総乗組員数は約90人だったということです。
左から ピンタ号、サンタ・マリア号 、ニーニャ号。コロンブスが乗ったのは中央の 一番大きいサンタ・マリア号です。
コロンブスが乗っていた一番大きいナオ船のサンタ・マリア号は、 全長26.60m、最大幅7.96m 、乗組員は40名。 無事に新大陸に到着しましたが、探検の途中でイスパニョーラ島で座礁し、その後 解体されて要塞の資材として利用されたとか。
この日の空は押し付けるようにどんよりとしていましたが、かえって未知の大海原へと旅立って行く古の船乗りの不安をはらんだ心情が感じられるようで、こういう空を背景に並んでいる木造の帆船は印象的な趣を醸し出していました。
ちなみに前回アップしたコロンブスの記念碑の写真では眩しい程の青空ですが、この写真はカラベラス埠頭を訪れた後でラ・ラビダ修道院にも向かったのですが、丁度到着したのが午後1時数分前でシエスタ(午後の休憩時間)に入る時間で、入られなかったんですよ。開くのは午後4時だということで、それまで待っていられない。それで後日再度訪れることにし、この青空の写真はその時に途中で撮ったものです。
停泊している3隻の帆船のレプリカを見て、まず思ったのは、想像していたより小さいなあということでした。しかも3隻のいずれもが中古船で、探検を目的として建造されたものではなかったそうです。船腹にも入って行けるんですが、意外と簡単な造りで、よくこんな船で2ヶ月あまり大西洋の荒波を進んで行けたものだと感慨深かったです。
コロンブス達を乗せた3隻の木造の帆船、 カラベラ船のニーニャ号、ピンタ号とナオ船のサンタ・マリア号は、1492年8月3日に パロス・デ・ラ・フロンテーラから大西洋を渡ってインドを目指して出港し、その年の10月12日にインドではなく バハマ諸島のグアハニ島に上陸しました。総乗組員数は約90人だったということです。
左から ピンタ号、サンタ・マリア号 、ニーニャ号。コロンブスが乗ったのは中央の 一番大きいサンタ・マリア号です。
コロンブスが乗っていた一番大きいナオ船のサンタ・マリア号は、 全長26.60m、最大幅7.96m 、乗組員は40名。 無事に新大陸に到着しましたが、探検の途中でイスパニョーラ島で座礁し、その後 解体されて要塞の資材として利用されたとか。
by honeyfire
| 2012-06-30 02:56
| 旅(国外)